日々平穏、善哉善哉。

南四国でアラフォーのオバチャマが、好きなものをひたすらに叫ぶだけのブログです。ごくごく稀に真面目な話もあります。

旦那闘病記。その7

旦那の脳動脈瘤は、実はいつからあったのか、特定できなかった。
「前からあったのか、ちょっと前に出来たのか、もしかしたら最初の出血の直前に出来たのか。分かりません」
と主治医にも言われた。
実は3年前、旦那は開頭手術をしている。具体的な説明は控えるけれど、緊急性のある手術ではないが、手術前にかなり細かく脳の検査をした。MRIで検査をしたけれど、もしその時、動脈瘤があったら、気づいていたはずだという。だから、いつ出来た動脈瘤か、本当に分からないのだ。

手術は予定の時間を越えた。
看護師さんが一度、主治医の伝言を届けてくれた。
「手術できる状態だと確認出来ました」
安堵のため息が自然と出た。
手の施しようがない、という事態は避けられた。
とはいえ、まだまだ手術は終わっていない。
時間は相変わらず、ゆっくりと流れる。
焦燥感の中で、ひたすら待ち続けた。

予定を遥かに超えて、
旦那の手術は、看護師さんが、
「先ほど無事に終わりましたよ」と知らせてくれたのは、夜。
8時間を優に超えていた。


ICUに帰ってきた旦那は、まだまだ麻酔から覚めきれずぼんやりした状態。
主治医に話しかけられ、身体を動かすように促されると反応するけれど、受け答えは要領を得ない。
「まだ麻酔が効いているかな?」
主治医も少し心配そうな口調。
だが、事件はすぐあとに起きた。

手術の間、旦那の母、嫁の両親が待合室で嫁と同じようにジリジリと待ち続けた。嫁の母は自身に病弱な身内が多かったせいか、ある意味病院という異空間に物怖じすることなく、対応出来ていた。
ICUで何本ものチューブやコードに繋がれた義理の息子を見ても動揺せずに、旦那の耳元で、
「○○くん(旦那の名前)、起きてる?私たち、これで帰るから、頑張りなさいよ」
と言ったのだ。
次の瞬間。
ぼんやりとした表情だった旦那が、突然しっかりとした表情を浮かべ、
ICU中に響き渡る大声で、
「ありがとうございます!お疲れさまでした!」
と叫んだ。
旦那のベッドを囲んでいた全員が、呆気に取られた。
次の瞬間、爆笑。
同じように笑い転げた主治医も、
「これだけ喋れるなら、問題なし」
と太鼓判を押してくれた事件だった。