日々平穏、善哉善哉。

南四国でアラフォーのオバチャマが、好きなものをひたすらに叫ぶだけのブログです。ごくごく稀に真面目な話もあります。

伝えることの大切さ。

今日は暖かな1日でした。
とはいえ、来週、義父の法事があるので義実家でてんやわんやの大片付け。
黙祷だけは、させて頂きました。

こんにちは、ちひろです。

3月11日が、今年も来ました。
毎年、この日を迎える度、思い出します。
東北を襲った津波のこと。
機能停止に陥った、福島第一原発のこと。

何より尊い命が、失われた事実を。



そして、心よりのお悔やみと、
あの日、起きたことを語り継ぐことの大切さを。



実は、東日本大震災の時、遠く離れた南四国でも津波を観測しました。
人的被害はなかったようですが、養殖のいかだが流されたりするなど、場所によっては2メートルを越える津波を観測しています。
人的被害がなかったので、意外と忘れられていますが、津波が到達することは南四国では予想されていました。
今後起こると予想されている、南海トラフ地震では高知県のとある町ではとんでもない数値の津波予想が出ています。
なので、津波被害は余所事ではないし、何よりかつて被害が何度も繰り返されています。



実体験で言うなら、小学生低学年の頃です。
親戚の墓参りに行った時です。
墓誌に刻まれた数人の名前のあとに、その頃の私より幼い年齢と、南海大地震津波の文字と、説明してくれた遠戚の話を忘れることが出来ません。
地震で大きく家が崩れ、とるものもとりあえず、山に逃げたこと。朝を迎えると、眼下には何もかも飲み込んだ黒い海が広がっていたこと。



揺れたら、何もかも放り出して、山に走りよ。



南海大地震は戦後すぐのこと。
もうあの頃の話を語ってくれる人は、少なくなりました。
語ってくれた遠い親戚のおばあさんも、ずいぶん前に亡くなりました。
ですが、おばあさんの話を、私は大なり小なり地震にあう度、思い出します。



3月11日も、地震直後に仕事中の旦那に電話しました。
外で仕事していた旦那の電話からは、防災サイレンがずっと聞こえていました。



被害と呼べるものはほとんどなかった。
けれど、いつか来ると言われている南海トラフ地震に備えて自分ができることをしよう。



伝えることが、被害を少しでも少なくできるならなおのこと。
声を上げることの大切さを、思い出しながら3月11日に、書き残します。



未だ、東日本大震災の被害を受けている方々、
心の傷を抱えている方々に、
思いを馳せて。