日々平穏、善哉善哉。

南四国でアラフォーのオバチャマが、好きなものをひたすらに叫ぶだけのブログです。ごくごく稀に真面目な話もあります。

旦那闘病記。その3

総合病院に駆け込んだ旦那は、とりあえずCTを撮った。そこでわかるレベルの出血だった。
旦那は診察室から、嫁に電話をしてきた。
 
 
 
「俺、やっぱりくも膜下出血だった」
「…………そっか」
 
 
 
まず先に書いておくが、旦那の現状は(2017年12月中旬現在)完全に社会復帰、いわゆる後遺症と呼ばれるものは何一つない。
ここまで回復した理由はいくつもあるのだが、まず第1に、出血量が少なかったこと。
第2に、専門医の診察が早かったことだと言われた。
 
 
 
総合病院でくも膜下出血の診断を受けた旦那は、病院から1分以内で駆けつけた救急車で、10分少しで地域の中核病院に運ばれた。
 
 
 
嫁への電話も、総合病院の医師から中核病院の医師に変わった。薬物アレルギーの確認、既往症の確認をしたあと、
「大丈夫ですよ、旦那さん、意識もしっかりしてますから。気をつけておいでてください」
と一言励まされた。
 
 
 
旦那が、倒れた。
それも、こんな形で。
だけど、考えている余裕はなかった。
今、しなくてはいけないことは山ほどある。そしてそれは先延ばし出来るものではない。
必死だった。
とにかく、車を走らせた。
病院まで2時間半。
とっぷりと日が暮れて、山中の先の見えない連続カーブの道は、前にも後ろにも車がいなくて、車のライトだけが頼りだった。
 
 
 
車のスピーカーから、普段聞いている星野源の『YELLOW DANCER』がエンドレスリピートしていた。
『時よ』という曲が流れる。
 
 
 
動き出せ 針を回せ 次の君に繋がれ
時よ 今を乗せて 続くよ 訳もなく
バイバイ 心からあふる想い
時よ 僕ら乗せて 速度上げる
ーーーーー星野源『時よ』より
 
 
 
ふと、思った。
今、旦那はどんな気持ちでいるのか。
みんなが知ってる病名。「死」という単語が、今までで一番身近に感じているはず。
 
 
 
じゃあ、どうする?
諦める?
いや、それはない。
まだ、死ねない。死にたくないと、あがけられるだけ、あがくはずだ。
だから、まだ「バイバイ」じゃない。
まだ、「バイバイ」なんて、させない。
 
 
 
そう思えた時、病名を知ってから初めて涙が出た。
悔しいとか、悲しいとか、一つの感情の涙ではなく。
全ての感情がないまぜで、あふれる思いが全部涙に変わったようだった。
そこから病院まで、泣きながら夜道を走った。