旦那闘病記。その3
総合病院に駆け込んだ旦那は、とりあえずCTを撮った。そこでわ かるレベルの出血だった。
旦那は診察室から、嫁に電話をしてきた。
「俺、やっぱりくも膜下出血だった」
「…………そっか」
まず先に書いておくが、旦那の現状は(2017年12月中旬現在 )完全に社会復帰、いわゆる後遺症と呼ばれるものは何一つない。
ここまで回復した理由はいくつもあるのだが、まず第1に、出血量 が少なかったこと。
第2に、専門医の診察が早かったことだと言われた。
総合病院でくも膜下出血の診断を受けた旦那は、病院から1分以内 で駆けつけた救急車で、10分少しで地域の中核病院に運ばれた。
嫁への電話も、総合病院の医師から中核病院の医師に変わった。薬 物アレルギーの確認、既往症の確認をしたあと、
「大丈夫ですよ、旦那さん、意識もしっかりしてますから。気をつ けておいでてください」
と一言励まされた。
旦那が、倒れた。
それも、こんな形で。
だけど、考えている余裕はなかった。
今、しなくてはいけないことは山ほどある。そしてそれは先延ばし出来るもので はない。
必死だった。
とにかく、車を走らせた。
病院まで2時間半。
とっぷりと日が暮れて、山中の先の見えない連続カーブの道は、前 にも後ろにも車がいなくて、車のライトだけが頼りだった。
車のスピーカーから、普段聞いている星野源の『YELLOW DANCER』がエンドレスリピートしていた。
『時よ』という曲が流れる。
動き出せ 針を回せ 次の君に繋がれ
時よ 今を乗せて 続くよ 訳もなく
バイバイ 心からあふる想い
時よ 僕ら乗せて 速度上げる
ーーーーー星野源『時よ』より
ふと、思った。
今、旦那はどんな気持ちでいるのか。
みんなが知ってる病名。「死」という単語が、今までで一番身近に感じているはず。
じゃあ、どうする?
諦める?
いや、それはない。
まだ、死ねない。死にたくないと、あがけられるだけ、あがくはずだ。
だから、まだ「バイバイ」じゃない。
まだ、「バイバイ」なんて、させない。
そう思えた時、病名を知ってから初めて涙が出た。
悔しいとか、悲しいとか、一つの感情の涙ではなく。
全ての感情がないまぜで、あふれる思いが全部涙に変わったようだった。
そこから病院まで、泣きながら夜道を走った。